先週の20日1:20、父が逝ってしまった。享年86歳。
平成17年4月約6年前から人工透析してまして、昨年の3月末脳出血で緊急入院。左半身麻痺の後遺症残ったけど10月に退院して(追い出されて^^;)約8ヶ月車椅子生活の自宅介護中でした。
先週10日に帯状疱疹で入院して、一週間で退院の予定が検査したら肺水腫で肺炎になってその後経過良好だったんだけど、夜中心不全で逝ってしまった。
急やったね。突然やった。危篤状態もなし。入院して10日。
ま、85歳と高齢ではあったし多少の覚悟はしてたんだけど、体力抵抗力落ちてたんだろうね。
イメージでは危篤状態の父のベッドの周りに家族が全員集合して、心電図がツーで医師が瞳孔チェックしての「御臨終です...」家族号泣の予定だったんだけどw
0時過ぎに早岐の実家に「呼吸してない!」の電話連絡あって、母が駆けつけたら心臓マッサージしてたとか。
母から連絡あって長崎から佐世保の病院に3時過ぎ到着。
4時半には連絡した葬儀社のお迎えがきて自宅到着は5時だったっけ。
20日の晩は自宅で仮通夜して、座敷の布団で寝ているオヤジと一緒に孫含め家族一緒に食事して
その晩は隣同士で寝た。「よ~寝とらすw」って感じ。
本通夜のお昼に実家で孫と一緒に「納棺の儀」やりまして、なかなか勉強になったね~生まれて初めての経験だった。
家族と一緒に旅立ちの準備をすると。白い足袋をはかせ、手には手甲、足には脚絆を着ける。
三途の川の渡し賃だという説がある六文銭入れ、数珠を合掌している両手の上にのせると。
17年前のお義母さんの時は「家族の方は席を外してください。」だったもんな。
退院しても車椅子生活とはいえ半分寝たきりだし、週3回の透析も辛かっただろうし、葬儀関係は父に対して悲しみよりお疲れさま感が満ちてたな。死に顔も何か解放されたように笑顔だった。
自宅介護の母も限界で、肺炎完治したとしても転院後寝たきりや痴呆になったかもしれないし、
本人にとっても脳出血で半身麻痺残ったけど退院後自宅に帰れたしで、総じてよかったんじゃないかなと。
泣いたよ。泣いたけど過去最高の明るいお葬式でした。
実家の本棚にあった「九州百名山」の本、もらってきた。
なんだかんだいいながら、山歩きの趣味はオヤジの影響強いのだな(^_^;)
【追記】ちょっとアドバイス
・急な死去の場合、スクジュール的に可能ならば仮通夜ありをおすすめします。
うちの場合亡くなった晩に本通夜可能だったんだけど、葬儀会社のアドバイスもあり自宅で
身内だけの仮通夜をした。バタバタせず比較的ゆっくりと、そして故人とみっちり付き合うことができた。
・親のプロフィールを準備しときましょう。
戒名の判断材料になるみたいだし、告別式で故人の紹介もあるし。
母はわかってても子供は具体的に知らんけんね(^_^;)
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by goudainana
| 2013-06-27 23:50
| なんでんかんでん